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カリブソング

カリビー口取り マルゼンスキー  
エスプリディア  
   
 
1986年4月13日~1994年10月20日 生産:野島牧場(門別)
近親…リンドプルバン グリーンヒルケイ
重賞勝ち…日刊スポーツ賞金杯、目黒記念、ブリーダーズGCA

ダート競走の格付けが低く、レース体系がまだまだ整備されていなかった時代の活躍馬。
44戦11勝(11-10-8-15)。
芝2000メートルでデビュー3着、2戦目の1800メートルで勝ち上がる。
全成績から判るように、芝ダート共にこなした馬だが、GⅠ優勝を果たせないまま逝ってしまった。
調教中に心不全を起こして急死したのである。
1994年10月10日のブリーダーズゴールドカップ(札幌ダート2400)を勝ったばかりだった。
9歳(現在の馬齢表記では8歳)まで走り、現役のまま天に駆け上がった。
「過労死」とか「企業戦士の死」といった表現が、スポーツ新聞や雑誌で使われていた。
彼のファンはそれを読んで、納得したのかな?
少なくとも自分は、好い気持ちはしなかったんだよ。
90年優勝のフェブラリーハンデ(G3)は、後にフェブラリーSというGⅠに格上げされている。
91年の金杯では59キロ、91年の目黒記念では60.5キロの斤量をしょって堂々と優勝した。


その存在に気づいた時、彼は既に5歳になっていた。
けして派手な存在ではなかったのだと思う。
これはどうやら“実力馬”らしいぞ、と馬の能力に疎い私にも判りだした時、
彼には6歳の春が訪れていた。
その後、彼が出るレースでは必ず単勝馬券を買うようになる。
しかし、思えばこの単勝馬券の束たちは、とうとう当たり馬券にはならなかった訳だ。
8歳と9歳の帝王賞では、大井まで応援に出かけた。
でも、さすがに札幌のブリーダーズゴールドCまでは、応援に行けなかったなあ……。
『一期一会』とは人の世で言われることだが、それは競馬の世界でも言える。
競馬を観るようになってから、競走馬の名前を随分憶えらえれるようになってから、
私の胸にはしきりと『一期一会』の言葉が浮かんだものだ。
競馬場やテレビ中継のなかで出逢った馬に、必ずしも再会できるとは限らない。
こちらの都合でレース観戦できない場合もあろうし、
馬のほうでこちら様の最寄りの競馬場に来てくれなかったりもする。
そうこうするうちに、馬自体が競馬(あるいは中央競馬)から去っていってしまう。
こんな風な出逢いと別れを、私たち競馬ファンは毎週のように繰り返している。
しかと意識してはいないかもしれないが。
―― だから、再会を重ねる馬には、多かれ少なかれ愛着や感慨が湧くのだと思う。
「お世話になった」馬への愛しさはもちろん、ある馬を恨めしく思うそれだって、
実は愛着だ。
出馬表に名前を見つけ、競馬場に姿を現すのを眺める。
特にその馬を応援するでもなく、その馬から馬券を買う訳でなくても、
同じ馬に逢い続けられることは嬉しい。
カリブソング……いろんな人たちに、いろんな感慨を呼び起こさせる名前だ。
親しみ深い、そして今となってはもう懐かしい、そんな響きを持つ名前。
オグリキャップの引退後も、入れ替わり立ち替わりスーパースターが現れ、
そして彼は、毎年そのスーパースターたちと走り続けたのだった。
6歳、7歳、8歳、9歳……。
やがて彼は、「古豪」「老雄」と呼ばれるようになる。
しかし、彼自身は若かった。
威厳、風格が備わらなかったせいもあるような気がするが、
いつまでたっても彼に老いや衰えは感じられなかったものだ。
もしかしたら私(我々)は、カリブソングが引退することなんか
想像してなかったのかもしれない。
種牡馬としての未来が、彼には開かれていないのではないか、
ある時期から感じ始めてはいた。
それならそれで、長く走ってくれる彼と長くつきあおうと決めていたのだが、
案外、彼と逢えなくなる日が来ることを考えていなかったような気がする。
彼の訃報に接した時、自分の“長期的展望”の死角を衝かれた思いがし、
また、自分がこの時まで、
実は彼の「リタイア」を想像していなかったことに驚かされた。
馬が死んだら、その魂は何処にゆくのだろう。
自分の生まれ故郷に還るのか。
生を受け仔馬時代を過ごした牧場に、やはり翔んでゆくのだろうか。
彼の、カリブソングの瞳に、最後に映ったものは何だったのだろう
――そう考えた時から、涙が止まらなくなった。
彼の死が、どのように報道されたのか詳しくは知らない。
「9歳の死」がどう扱われるにしろ、
私は彼の晩年をちっとも惨めだとは思わないし、
元気いっぱいに現役で居続けてくれた彼をかっこいいと思っている。
それだけに、彼の血が残らなかったことよりも、
彼の走る姿が見られないことが悲しい。
好きだった馬の子供にターフで声援を送る、
それも競馬の楽しみ方の一つであると認めつつ、
ファンの真の幸福感は、その馬が疾駆する姿を見ることに尽きるのではないか…
そう考える。あくまで、個人の価値観で。
悔しさも歓びも、心の襞から染み出すエキスに静かに包み込まれ、
永い時を経て真珠に生まれ変わる。
そうやってできた真珠を、誰だって心にひと粒持っているはず。
彼を思って泣くよりも、走り続けてくれた彼の姿を、宝石のように抱いていたい。

 1995年10月14日 

 中央競馬レーシングプログラム「思い出の馬、思い出のレース」

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